
「父上。諄(くど)いようですが、私にはどうにも納得ならぬのです」乗騎の鞍の点検を済ませ、キヴィヤが言った。「……これが本当に賢明な判断であると?」兵士たちは男も女も、装備の最終確認に慌ただしく動き回る。荷車に貨物が積み込まれてゆく傍で、ガウロックが獰猛に鼻を鳴らす。喧騒のなか、ミダーは娘に視線を向けた。浅黒い顔に浮かぶ鋭い眼差しは、亡き母ティエナの面影を湛えていた。キヴィヤの華奢な体に、母の鎧はまだ大きすぎるようにも思える。だがミダーのその感覚には、父としての情が含まれているのかもしれない。鎚貨こそ譲り渡しても、親心まで失われたわけではなかった。
「ストーンベリーのオゴウルは長年の同盟者だ」ミダーは作り笑いを浮かべ、娘の肩をぽんと叩いた。ガウルの刺すような風が、土埃にまみれた黄土色の外套をはためかせる。「お前の祖父たちが神王の御名のもと、この地へ最初に入植した頃、闇の部族と戦うために雇ったのがストーンベリーだ。〈獣の時代〉を迎えた時ですら、連中は我々を襲うことなく、グロンダー湿原のオールクを狙った。確かに獰猛な奴らではあるが——」
「——話の通じぬ化け物でもない、と言いたいのでしょう?」キヴィヤは真顔で父の手を取り、そっと力を込めた。娘は昔から父の考えを見透かすようにやり込めるのが実にうまかった。「こちらも報酬を与えているのですから」そう言いつつ、キヴィヤは荷車を指した。どの荷台にも、塩漬けのフラットホーンの腿肉やイェサールの心臓が積まれている。「高尚な志を持って平和を守る連中ではないですよ、父上」その言葉に同意せざるを得ない痛みが、ミダーの表情を曇らせた。
ため息をつくと、彼は両手を娘の肩に置いた。しばし沈黙が流れた後、ミダーは表情を引き締める。父ではなく指揮官として、自身の参謀と向き合う彼がそこにいた。
「お前は正しい。だがそれでも行くのだ」ミダーは続ける。「これは、私の責任で下した判断だ。いずれはその責任もお前に移るであろう。いいか、このやり方は開拓の始まりから続いてきた。相手はオールクでも野獣でもない。粗雑で横柄な連中ではあるが、オゴウルは分別を持ち、我々の流儀も理解している。必要なら何度でも言い聞かせ、食糧も求めるだけ与えればよい。奴らが満足し、城壁から距離を置くなら上等ではないか」
キヴィヤは緊張で身を硬(こわ)ばらせていた。ミダーはため息をつき、苦笑しつつ娘の額に口づけると、その短い髪をくしゃりと撫でる。再び笑みを浮かべたミダーの顔は、指揮官ではなく父親に戻っていた。
「それに、グルエラの親類にも会ってみたくはないか?」
「ストーンベリーの野郎どもなんざ怖がるこたねぇよ、お嬢親分」すぐ傍で、岩が唸るかのような野太い声が響いた。
グルエラは荷車の縁に腰掛け、気怠そうに羊の脚を齧っている。荷車はその巨体を支えきれず、今にも倒れそうになっていた。フリーギルドの装備を身に着けているものの、普段から背中に背負っているはずの“見張り台”は、今日に限って見られない。豚のような小さな目には、粗野ではあるが心からの陽気さが宿っていた。
「あたいも昔ゃ、長げぇこと誇り高きストーンベリーだったんだ」鈍い金属音を響かせながら、グルエラは鎧越しの腹を叩いてみせた。袖がずれ、筋肉に絡みつく色褪せた刺青がのぞいた。「だけどメシ欲しさにアンタらんとこへ入ったのさ。ともあれ、あいつらぁ無茶な連中じゃねぇ。ちゃんと筋は通すヤツらだ」そう言うと盛大なげっぷを放ち、近くの兵士たちをよろめかせる。ミダーが呆れた表情を見せると、グルエラは豪快に笑い、太い指をぶらぶらと振った。「タダで手に入るもんなんざねぇって、ミートフィストのお偉いグロッブもそう言ってる。けどな、オゴウルは戦しか頭にねぇオールクどもとは違うんだ。こっちの痒いトコロを掻いてくれりゃ、礼くらいするさ」そう言って笑うグルエラの歯茎に、金色の乱杭歯がぎらりと光った。
「ま、あたいは昔のダチ、ヴォグに会えりゃ十分さ。覚えてるだろ? ほらヴォグだよ、あのひでぇツラした奴さ」歯車城の作動音にも似た轟音で笑い出したグルエラは、膝を叩くたびに唾を撒き散らした。ミダーは苦笑しながら外套を広げ、その飛沫を避けるように自身とキヴィヤを覆った。「けどよ、あいつとは湿地の連中を山ほどぶっ潰したもんだ。ヴォグも他の奴らも頭の切れる連中だぜ、お嬢親分。このグルエラ様みたいにな!」
「皆がグルエラのようならば……」込み上げる笑みを抑えつつ、キヴィヤは言った。「……退屈することはなさそうね」
一行はほどなく騎乗した。騎兵隊は荷車の脇を進み、歩兵はその両側に横隊を組んで進んでゆく。ミダーは隊列の先頭に立ち、馬上から前方を見据えた。スカー・リーチに広がる疎らな草原は次第に途切れ、窪地や峡谷、牙のような断崖が連なる険しい地形へと姿を変えてゆく。普段であれば、この辺りを彷徨う狼の群れや、さらに巨大な有毒のスナールファングに襲われる危険の高い場所だが——今日は様子が違う。刈り払われた草原には、ただ風だけが吹き抜けてゆく。獣の遠吠えや唸り声も聞こえてこない。その空虚さが、峡谷へと狭まってゆくまでの広大な平原を、どこまでも不気味で果てなく感じさせた。

ミダーは腰に佩いた剣の重みを感じつつ、聳え立つ崖壁に視線を向けた。記憶にある限り昔から、その岩肌には歴代のオゴウル族長の巨大な紋様が描かれていた。だが今はそれらすべてが、赤い牙を円環状に並べたような巨大な印で塗り潰されている。その牙からは、銅色を帯びた深紅の筋が岩肌を伝い落ちていた。
「……知らない部族?」ミダーの胸中を代弁したのはキヴィヤだった。蹄の音を響かせながら乗騎を父の隣へと寄せ、鋭い視線を向ける。「状況が違います、父上。これは危険です」
ミダーは嘶く馬の手綱を強く引いた「ああ、そのようだ。我々は——」
「いや。ここはまだストーンベリーの縄張りだ」
グルエラは隊列の間を押し進み、先頭まで歩み出た。目を細めながらその印を見つめ、深く息を吸う。「そうじゃなけりゃ、生き残りの連中まで吊るし上げられてるさ。縄張りを奪った部族は、自分らの力を見せつけなきゃならねぇからな。それにこの匂い……」巨大な鼻をひくつかせ、淀んだ風を吸い込んで言った。「ああ、間違いねぇ。ストーンベリーだ」少しの間を置き、グルエラはミダーへ顔を向けた。
「ちょいと様子を見てくらぁ、親分。来るも来ねぇも好きにしな」それを止めるのも無駄であるように思われた。グルエラはすでに行く手を塞ぐ兵士たちを肩で押しのけ、メイスを肩に担いだまま峡谷へ向かって歩き始めていた。ミダーは少し考え込んだ後、娘へ向き直った。
「部隊の半分を連れて砦へ戻れ。他の指揮官たちにも知らせるのだ。我々も、なるべく早く戻る」
「いえ、父上——」
「言う通りにしろ、キヴィヤ」そこには父として、また指揮官としてのミダーがいた。鋼のごとく厳格な指揮官の声で命じる一方、父親らしく娘の頬へ静かに手を添える。やがてミダーは身を翻し、手綱を鋭く鳴らし、歴戦の部下たちを率いてグルエラの後を追った。
峡谷は、ほどなくして急速に狭まっていった。眼前に迫る岩壁は太古の地神たちの法廷さながらに、その間を這うように進む嘆願者たちへの裁きを下しているかのようだった。
ミダーの剣は、鞘の中で重々しく揺れていた。
野生の勘というべきか——天敵の気配を突如察したガゼルのごとく、指揮官は不意に空を見上げた。冷たい風が頬を切るように吹き抜けるなか、はるか頭上の断崖に大柄の人影が見えた。その者らはみな、人間の胴体ほどもある巨大な弩弓を肩に担ぎ、厚い革帯と毛皮をまとっていた。そして誰もが、獲物を見定める捕食者の眼差しで一行を見下ろしている。
「ビーストクロウの奴らだ」原始的な装束姿のオゴウルを見つめながら、グルエラが呟いた。「しかもキンリッパーの氷雪族まで……。あいつらはグリマー氷河の方にいるもんだと思ってた」
「敵なのか」ミダーが静かに尋ねる。グルエラは即座には答えなかった。
「……分かんねぇ」
豚の悲鳴のように車輪を軋ませながら、二台の荷車のみを伴う一行は、やがてストーンベリー族の砦へとたどり着いた。
否、それを「砦」と呼ぶのは少々大げさであるかもしれない。断崖と洞窟を削り出して造った城らしきもの、という程度の代物だった。不恰好な窓からは煙が立ち上っている。立ち込める煙、鼻を衝く肉の臭気。そして何より、大地をも揺るがすほどの唱和の声。そこには、ミダーが知るストーンベリー特有の、傲慢で野卑な陽気さは欠片もなかった。
「グロッフ・コサル・モウグルガル・コス・モウゴルグ! グロッフ・コサル・モウグルガル・コス・モウゴルグ!」
唱和が、ぴたりと止んだ。

洞窟の入口には灯る松明の灯りが見えた。地鳴りにも似た足音が轟くたび、炎はゆらゆらと揺れている。そして大地の傷口から臓腑が滲み出るかのように、それは現れた。オゴウルの群れだ。その後にも、またその後からも、オゴウルが迫り来る。そのさまは、もはや歩く山塊であった。岩盤のような筋肉を刺青が這い、崩れた岸壁のような顔面にも同じ紋様が刻まれている。ミダーは再びあの印を目にした——牙と大顎。血で描かれ、なお滴り落ちるようなあの印だ。戦利品の骨が掲げられ、あるいは象ほどにも分厚い皮膚を貫いている。中にはだらだらと涎を垂れ流す獣もいた。
乗騎が落ち着きなく足踏みするたび、ミダーの呼吸も乱れた。それでも彼は、どうにか言葉を絞り出す。
「ストーンベリー! 古き同盟者たちよ!」手綱を固く握り締めたまま、食料を積んだ荷車を示した。ガウロックたちは鼻息を荒げ、必死に手綱を振りほどかんと踠いている。「我らは約束どおり報酬を届け、盟約を果たしに来た!」
オゴウルたちの間にざわめきが広がった。手にした肉切り包丁の刃は無数の傷を帯び、陽光をぎらりと照り返した。オゴウルの中には、病的にぶらぶらと身を揺らしているものもいる。やがて、ひとつの巨体が前へ進み出た。肩から胴へと巻きつけた鎖にはおぞましい戦利品が吊るされ、歩くたびに不気味な音を立てた。下顎を染める赤色は刺青なのか、あるいは乾いた血なのかも分からない。
「……気に入らね」
ミダーは腹の奥からぞくりとした冷たさを覚えた。返す言葉を失った彼に代わり、グルエラが険しい表情で一歩前へ出た。
「ヴォグ? ヴォグじゃねぇか! 何だってんだおめぇ、そのツラはよ!」
相手のオゴウルは一瞬、驚きの表情を浮かべた。そこには不器用ながらも、本物の情らしきものがあるように見えた——その野蛮な身なりがヴォグの感情まで押し殺させているだけに違いない、ミダーはそう思った。
だが次の瞬間にヴォグは顔をしかめ、地面に唾を吐き捨てた。
「お前みてぇな裏切り者に話すことなんざねぇ。グリッターモウの話もするもんか」
「裏切り者だぁ? ヴォグ、このろくでなしめ! そんな口を利いた日にゃ、ハラワタ引きずり出してやらぁ!」グルエラは歯を剥き出し、大鎚を握り締めた。「それに、なんでグロッブの話をしちゃいけねぇ? タイラントの中のタイラントだぞ!」
「死んじまった」
腹当てを不規則に打ち鳴らす音が鳴り響く中、悪臭に満ちたオゴウルの群れが、肉の海のように左右に割れてゆく。その間から押し寄せてきたのは、吐き気を催すほどの臭気であった。
腐り切った血肉の悪臭とともに、洞窟の奥から「それ」は姿を表した。オゴウルたちは頭を垂れ、粗野ながらも畏れを帯びた声でぶつぶつと何かを唱えている。乾いた血で染まった前掛けが腹に張り付き、手元の真鍮の鍋は、粘り気のある煮込みで満たされていた。肉の呪術師がにたりと笑みを見せると、歯に挟まった腸の切れ端がびくびくと蠢いている。
「スカルガスか」グルエラは、肉の司祭を睨み据えながら低く呟いた。「へぇ、てめぇが族長のつもりか」
「『つもり』じゃねぇ、裏切り者が」スカルガスはそう言うと、大きくげっぷをした。ミダーは怯んだようにして後ろへ下がった。そして峡谷の入口へじりじりと後退し、兵たちにも密かに退くよう合図した。「グロッブは死んだ。偉大な“飢えたる神”も、あれにゃ愛想を尽かしたんだ。こんな痩せっぽちどもと付き合って、俺たちを道から外しやがった……」
「お前ら街暮らしの奴らもそうだ、どいつもこいつも狂いやがって。神への冒涜だ、飢えたるお方もそう言ってる。今じゃ俺らぁは、あのお方の声をこれまでになくはっきり聞ける。俺らぁが忘れていたことを思い出させてくだすったんだ。だからな……」スカルガスはミダーを一瞥した後、グルエラに向けて嘲笑した。それはミダーがこれまで耳にした中で、もっとも醜悪な笑い声だった。「お前の腸、引き摺り出して飾りにしてやろう……いや、その前に食っちまうかもしれねぇがな」
グルエラは大柄なオゴウルだが、この時ばかりは体格に見合わぬ素速さで動き出した。暴走機関車のような勢いで突進し、高々と大鎚を振り上げる。その勇猛さをスカルガスは鼻で笑い、鍋の中へ手を入れると、血塗れの胃袋をひとつ取り出した。疣だらけの舌でそれを舐め回しつつ何かを呟き、臓物に噛みついた。

グルエラの腹が破裂した。“大彗星の日”の爆竹を思わせる激しさで飛び散ったものは、むろん祝いの火花ではなく、うごめく腸と臓物だった。グルエラは自らの潰れた腹を見下ろしながらも、なお脚を動かし続けていた。こぼれ落ちる臓物を両手で受け止め、必死に腹の中へ押し戻そうとする。だがやがて地響きを立てて倒れたかと思うと、わずかに地面を這いずり、そのまま動かなくなった。
死の臭気は、オゴウルたちを狂わせる。われ先にとグルエラの死体へ群がらんと突進し、互いを押しのけ、倒し、引き裂き合う。そして裂けた腹腔へ顔を埋め、こぼれ出た臓物へ貪りつくのだった。また別の者たちはフリーギルド兵へと殺到し、四肢をへし折り、その骨髄を貪り飲んだ。小銃隊の一団が一斉射撃を試みるも、その目前にヴォグが襲いかかる。巨大な刃が唸りをあげ、ひと振りで三人を両断した。ミダーが命令の声を上げようとした瞬間、オゴウルたちの狂乱の突撃と咆哮に怯えた乗騎は、甲高く悲鳴をあげてミダーを鞍から振り落としてしまった。地面へ激しく身を打ち付けて転げ回るうち、ミダーの意識は薄らいでいった。
「父上!」
キヴィヤの声を聞いた瞬間、身体の痛みは消えた——正確には、痛みよりも禍々しき恐怖がミダーを襲った。ミダーが顔を上げると、そこには娘の姿があった。愚かなまでに勇敢な我が娘。その勇敢さと愚直さもまた、まさしく母親譲りであった。キヴィヤはいま、ストーンベリーの砦の入口へ騎兵を率いて突撃し、救援の叫びを上げている。拳銃弾がオゴウルの分厚い頭蓋を撃ち抜き、噴き上がった血が顔面に降りかかった。
「キヴィヤ!」立ち上がろうと踠きながら、ミダーは叫んだ。肉の裂ける音、骨が砕ける音、腸が弾ける音。そのすべてが四方から鳴り響いていた。「キヴィヤ、よせ——!」
凄惨な殺戮の音すらかき消すように、雪を踏みしめる獣の足音にも似た風切り音が聞こえた。次の瞬間、鋸歯つきの大矢が、キヴィヤの背中と腹を突き破った。背丈ほどもある矢に貫かれたキヴィヤは、しばらく激しく身を捩らせていた。目は大きく見開かれたまま瞬きひとつせず、口からは血があふれ出る。串刺しにされた瀕死の乗騎ごと地面へ崩れ落ちると、遠くで下卑た嘲笑の声が響いた。崖の上では、追跡していたオゴウルが巨大な弩弓を満足げに下ろしている。一方その仲間たちは、逃げ場を失った騎兵たちへ容赦なく矢を降らせていた。
ミダーが娘の亡骸を見つめていると、不意に大きな影が覆いかぶさる。スカルガスの姿は見えないが、血肉の悪臭は鼻をつき、生臭い涎が背中へ降りかかるのを感じた。
「おお、こりゃあいい」怪物は低く唸った。「うめぇ煮込みにしてやらぁ」
巨大な手がミダーを捕らえると、終わりは間もなく訪れた。




















